フランドルとベルギーの美術
シュールレアリスム
時代はずっと下がって1920年代後半、ヨーロッパではシュールレアリスムという潮流が広まります。
超現実主義とも訳されるシュールレアリスムは当初フランスにおいて、アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴン、ポール・エリュアール、 そしてプレヴェールやクノーに代表されるように、主として文学上の運動であったのですが、ミロやダリを輩出したスペインのように周辺国ではシュールレアリスム絵画が主流となります。 かのピカソや岡本太郎も一時はこのグループに接近していました。
そして、ベルギーのシュールレアリスムの立役者がルネ・マグリットとポール・デルヴォーでした。
とりわけ、リンゴ、山高帽の紳士、雲、岩、鳥、パイプ、窓といったお決まりのモチーフを繰り返し描いたマグリットは、明晰な描写と不可解な状況の組み合わせで、日本でもその人気は高く、ダリと並んでシュールレアリスムを代表する画家といえるでしょう。
シュールレアリスムとは何であったか
破滅的にめちゃくちゃではないが、どこかちぐはぐで整合性のとれていないような事態を指して、日本では「シュールな」という表現を使いますが、また、一般にシュールレアリスム絵画を「夢のように」不可解と評しますが、これらの言葉ほどシュールレアリスムの半面を的確に言い当て、残りの半面を見事に忘却させるものはありません。
対抗宗教改革としてのバロック芸術のときもそうでしたが、後世の我々は残された作品から芸術を解釈してゆくしかありませんが、やはり、その本質をよりよく理解するためには作品が作られた文脈、つまり、時代背景を知っておく必要があります。
シュールレアリスム運動(あえて運動という言葉を使います)が始まったのが第一次世界大戦の戦勝国であったことは注目に値します。
人類にとって未曽有の悲劇であった第一次世界はその敗戦国に過酷な運命を強いますが、一時的にはワイマール共和制という成果ももたらしました。その一方でフランスでは戦勝国であるが故に第三共和制が維持され、戦中には国民に多大な犠牲を強いて、ただの駒のように戦場へと赴かせた政府が、勝利の熱狂のうちに国民から賞賛されることになります。
シュールレアリスムとは先ず、戦争が終わっても何一つ変わらないという世界の無反省ぶりと、それを受け入れてしまう人々の順応主義への抵抗であり、ひいては、そういう世界を可能にした自然科学と経済が支配する近代、その思想的基盤となる二元論に基づいて世界を把握しようとする近代合理主義、シュールレアリスト達自身の言葉を使えば「デカルト的世界」を変革させようという革命運動だったのです。
マグリットとデペイズマン
この視点からあらためてマグリットの絵画を見直してみると、彼お得意の不可解な状況、明るい昼間に囲まれた暗い夜の街灯、背景と溶け合う人体、空中に軽々と浮かぶ重そうな岩石の塊、嵐の海に羽ばたく鳥の形をした青空、窓の外と内でつながる風景、上半身が魚で下半身が人間というあべこべの人魚、「これはパイプではない(Ceci n'est pas une pipe.)」と書かれたパイプ、そういった本来は相容れないはずのものが同時に克明に描かれてることの意味が分かってきます。
このようにあるものを通常では考えられない状況に配置する手法をデペイズマン(dépaysement)と言います。
デペイズマンの目指すものは、一般には相反するとみなされているもの同士を併置して偶然に出会わせること(rencontre fortuite)で、そこに描かれている事態は二元論的世界観の超克であり、ドアの外から室内に流れ込んでくる雲の絵や、キャンバスの中と外がつながった風景が端的に表しているように、デカルト的世界に張り巡らされた境界の越境であったのです。
一つ一つのモチーフは敢えて写実的に描くことで、日常の中に潜む思考の裂け目を暴き立てようとした画家、それがマグリットでした。