ビールと文化の国ベルギー

多言語・多民族・多文化国家 ヴラーンデレンとワロニー

Christmas in Antwerp

Photo © Antwerpen Toerisme en Congres

ベルギーの最大の特徴とは何でしょうか?多種多様なビール?世界に名だたるチョコレート?長い伝統を誇る芸術?あるいは、美しい観光都市?
確かに、ヒューガルデンにゴディバにルーベンス、そして、アントウェルペンと、世界的に有名な名前をいくつでも挙げることができます。

しかし、そんなふうにして、一つ一つの要素を個別に見てゆくだけでは、ベルギーの本質に迫ることはできないのです。
それでは、ベルギーという国を規定するような特徴とは何か?その答はベルギーが多言語・多民族・多文化国家であるということです。

オランダ語・フランス語・ドイツ語が話され、ゲルマンとラテンの境界線が国内にあって、それぞれの地域が異なる文化を育んできたベルギー。大きく分けると、ワロニーと呼ばれる南部フランス語圏と、ヴラーンデレン(フラーンデレンと表記することもあります)という北部オランダ語圏があります。
ベルギーのオランダ語のことをフラマン語と称することもあり、日本でも目にする機会の多いフランダース(英語)やフランドル(フランス語)というのは、このヴラーンデレンのことなのです。また、ベルギー内のドイツ語圏は規模としてはずっと小さいものになります。

歴史的に見ると、プロテスタントのオランダから南部のカトリック地域が独立して成立した今日のベルギーは、同じカトリックの大国フランスと言語・文化を共有できるメリットや、当時のワロニーの経済的優位を背景に、フランス語のみを公用語としました。
やがて、ヴラーンデレンの民族文化の興隆と経済的地位の上昇に伴って、まずはオランダ語も公用語と認められ、さらには、ワロニーの経済的な停滞に伴って、ついに言語戦争とも呼ばれた対立へと発展していったのです。

EUの首都 そして、連邦国家へ

Photo © OPT-JP Remy

しかしながら、ゲルマンとラテンの対立という、いってみればヨーロッパの縮図のようなベルギーは、それが故に、EUの前身であるヨーロッパ共同体ECの本部がブリュッセルに置かれることとなり、今日のEUの首都という地位につながっています。

実際、1973年当時、ECの本部をパリやボンに置くなどということは、その歴史的経緯からいってもあり得ないことでした。正に、フランスとドイツとの争いこそが20世紀前半のヨーロッパの運命を翻弄してきたのですから。
そのように考えてみると、多言語・多民族国家のベルギーというのはヨーロッパ統合の象徴的な地位にあったと言えるでしょう。

その一方で、ベルギー国内では言語的対立と経済格差が深刻化し、やがては、ヴラーンデレン・ワロニー・ブリュッセル首都圏の三地域圏とフラマン語・フランス語・ドイツ語の各言語共同体からなる二層の連邦制へと移行、世界でも類を見ない立憲君主制連邦国家の道を歩むこととなりました。
今日、ベルギー人がベルギーという統一的なひとつの国家を意識するのは、王室とサッカーのナショナルチームの話をするときだけだと、少々誇張して言われることもあるほどなのです。

さて、歴史や政治経済の話はこれぐらいにして、ベルギーの文学や芸術といった文化を簡単に紹介してゆくこととしましょう。
ベルギーのことをよりよく知れば知るほど、ベルギービールの味がそうすることで変わるなどということはないにしても、より豊かで楽しいひとときが過ごせることは間違いありませんから。

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