フランドルとベルギーの美術

フランドルのバロック絵画

17世紀になると、ヨーロッパの他の地域と同様に、フランドルでもバロック芸術が花開きます。かのルーベンスやファン・ダイク、ヨールダンスなどは日本でも有名です。

フランドルのバロックについて考える際にもっとも重要なポイントは、バロック芸術というのがすぐれて対抗宗教改革の運動であったという点です。
16世紀にヨーロッパを席巻した宗教改革がなぜ芸術と関係があるのか、現代の日本人には分かり難いかもしれませんが、当時の芸術の最大のパトロンは教会であり、文芸復興・古典古代への回帰などと言われるイタリア・ルネサンスでさえ、その最大の作品群がバチカンにあることからも明らかなように、教会とは切っても切り離せない関係にあったのです。

そして、対抗宗教改革の手始めとしてトリエント公会議が開かれ、その第25盛会議で「聖遺物、聖人、聖画像への祈願と崇拝に関する勅令」が出され、その後の美術の流れを決定づけることになりました。
そこでは聖画像(イコン)の崇拝が再確認され、民衆教化の手段としての有効性が認められました。その結果、聖画像からは迷信や猥雑さが排除されねばならず、正統的で教義に適ったものでなければならないとされ、また、教化の観点から明快かつ写実的で見るものに直接的に訴えかけ、信仰心をかき立てるようなものであるべきとされました。
また、トリエント公会議では聖母の崇拝も再確認され、その結果、バロック美術において膨大な聖母像が描かれることとなりました。
元々は同じネーデルラントの北部と南部の関係であったオランダとフランドルですが、日本でも有名なレンブラントやフェルメールといったオランダ美術は、上記のような要請を受けていないという点で大きく異なっています。

バロック最大の画家ルーベンス

『キリスト昇架』ペーテル・ルーベンス アントワープ大聖堂

『キリスト昇架』ペーテル・ルーベンス アントワープ大聖堂

八十年戦争(いわゆるオランダ独立戦争)の最中の12年間の休戦中、つかの間の平和を享受していたフランドルのアントウェルペンで活躍したのがフランドル最大の画家、いえ、バロック最大の画家といっても過言ではないルーベンスでした。
それは同時に、戦争と宗教改革で大量に破壊された聖画像の代わりを依頼する注文の多かった時代でもあり、そこで求められたものは言わばカトリックの失地回復であり、カトリックの勝利を力強く印象づけるような作品であったのです。

『キリスト降架』ペーテル・ルーベンス アントワープ大聖堂

『キリスト降架』ペーテル・ルーベンス アントワープ大聖堂

アントウェルペンの大聖堂にあるこの2つの三連祭壇画は、そのような時代の要請に基づいて描かれたルーベンスの傑作です。
元来は対の作品ではなかったのですが、テーマも構図も見事に対照的な作品となっています。力強く劇的な『昇架』と静かで抑制された『降架』、そこには猥雑な要素もなければ、正統でない謎の人物がいたりもしません。

余談ですが、この祭壇画のおそらくは『降架』の方が、『フランダースの犬』で主人公のネロが憧れつづけ最期に見ることがかなった絵なのです。日本人にとっては思い入れもひとしおな作品なのかもしれません。

教会と並ぶバロック芸術のパトロンといえば王侯貴族なのですが、この点でもルーベンスは超大作を残していて、それがルーブル美術館にある全24枚の連作『マリー・ドゥ・メディシスの生涯』です。メディチ家から嫁いだフランス王アンリ4世の妻にして、一時は摂政も務めたマリー・ドゥ・メディシスの生涯を賞賛する歴史画としてまとめ上げたルーベンスの手腕は、このフランドル出身の画家が文句なしにバロック最大の芸術家であったことを証明しています。

ベルギー美術 その3

 |  目次 |