酔っ払いのためのベルギー文学講座

せっかくベルギービールを飲むのですから、ついでにもっとベルギーのことを色々と学んでみませんか。ここでは、ベルギービールを傾けながら語るにふさわしい、簡単なベルギー文学の話をします。これを読めば、あなたもにわかベルギー通になれます。
このコーナーは必ず最後まで読んで下さい。途中までしか読まずに生半可な情報を人様に吹聴したりすると、お酒の席とはいえ思わぬ恥をかく恐れがあります。

フランダースの犬

さて、日本でいちばん有名なベルギー文学作品は何でしょうか。この問いに答えられる人はなかなかいないかもしれません。
しかし、『フランダースの犬』なら誰もがご存じでしょう。実はアニメでも知られているこの超有名作品はベルギーを舞台とした小説なのです。画家を目指す貧しい少年ネロが愛犬のパトラッシュとともに天に召される、語るも涙聞くも涙のあのラストシーン、一定以上の年齢の日本人の胸にはしかとあの日の涙の記憶が刻まれているはずです。

風車のある風景やネロと仲良しの女の子が着ている民族衣装のせいで、『フランダースの犬』はオランダの話だと思っている方も多いかもしれませんが、舞台はフランドル(=フランダース)地方、今のベルギーはアントワープの近郊で、ネロがそのその最期にようやく見ることのできたルーベンスの祭壇画は今でも当時と同じ場所アントワープの大聖堂にあります。
舞台となった村には、この世界的な名作をたたえてネロの像が立てられていますので、ベルギー観光の際にはお見逃しなく。

青い鳥

『フランダースの犬』と並んで有名で、ベルギー文学を代表する作品といえるのが、押しも押されぬ大作家メーテルリンクの『青い鳥』でしょうか。チルチルとミチルの兄妹が幸せの青い鳥を探すというこの童話劇は絵本・アニメ・ミュージカルの原作として、これまた知らぬものとてない名作です。
メーテルリンクは『青い鳥』を初めとする戯曲の功績を評価されて、1911年にノーベル文学賞を受賞しています。

タンタンとポワロ

また、スティーブン・スピルバーグ監督で映画化され高い評価を受けた『タンタンの冒険』もベルギー人エルジェの原作ですし、ミステリーの大家アガサ・クリスティが書いた『オリエント急行殺人事件』や『ナイル殺人事件』で有名なエルキュール・ポワロもベルギー人です。
ネロとパトラッシュ、チルチルとミチル、タンタンにポワロ、意外とベルギーって日本人にも身近な存在ではありませんか…

ベルギー文学の真実

というのは、実はただの冗談です。ここまでの話は嘘こそ書いていませんが、肝心な部分をわざとあいまいにしたミスリーディングなのです。

まず『フランダースの犬』の作者ウィーダはイギリス人でそもそもがベルギー文学ではありません。
しかも、お涙ちょうだいのセンチメンタルなこの作品がこんなにも有名なのはなんと日本だけ、世界的に見れば、大人が寄ってたかって子どもをいじめ、挙げ句の果てにのたれ死にさせてしまうという神をも恐れぬストーリーが評価されるわけもなく、本国イギリスではとうの昔に忘れ去られていました。
また、作品内に当時のフランドルに対する作者の偏見があることから、舞台となったベルギーでも一顧だにされたことがないという、まあ無名中の無名な作品だったのです。

舞台がアントワープ郊外の村であること、アントワープの大聖堂にルーベンスの祭壇画があること、そして、ネロの像があるというのは確かに事実なのですが、なんとこの像、日本人のためだけに作られたようなものなのです。
次から次へと観光資源のない村に日本人が押し寄せては聞いたこともない小説の名を口にするので、地元の職員が調べたところ(つまり、調べないと分からないぐらい無名であったということです)、自分たちの村が舞台の作品が日本では大ヒットしていることが判明して驚いたそうです。

今では重要な観光資源(ただし日本人専用)として大聖堂前の広場にさえネロのプレートがあり、アニメをオランダ語に吹き替えたものが放映されて高視聴率を記録したそうですが、残念ながら上に書いたような理由から『フランダースの犬』が文学的な評価を受ける可能性は未来永劫なさそうです。

では、メーテルリンクはどうかというと、彼がノーベル賞を受賞したベルギーの代表的作家の一人であるというのは事実ですが、その受賞理由は『青い鳥』だけではなくベルギー象徴主義の作家・戯曲家としての受賞で、『青い鳥』もその体裁こそは児童劇ですが、中身はおとぎ話の形を借りた神秘的で難解な象徴主義の作品なのです。

『タンタンの冒険』の原作は実は小説ではなくbande dessinéeというコミックですし、エルキュール・ポワロに至っては小説内の設定でベルギー人とされているだけで、舞台もベルギーでなければクリスティ自身も生粋のイギリス人です。ただし、タンタンはヨーロッパでは日本よりもはるかに人気があり、スピルバーグ監督の映画はベルギー・フランスなどでは記録的な大ヒットを飛ばしました。

結局のところ、『青い鳥』がベルギー文学だということが分かっただけですが、それではメーテルリンクこそがベルギー文学なのかというと、実はそうとも言えないのです。ベルギーの場合、国を代表する作家を一人選ぶというのが非常に困難で、それにはそれなりの理由があるのですが、それは少し専門的な話になりますので、もっと知りたいという方はベルギー文学Ⅱ「素面で読むベルギー文学入門 前編」をご覧ください。

 |  目次 |