素面で読むベルギー文学入門 後篇
ベルギー文学のビッグネーム
ベルギー文学というものを一言で定義するのが困難であるとはいえ、ベルギー出身で文学史に名を残す、あるいは、残すであろう作家はフランス語かオランダ語かを問わず少なからずいるわけで、ここでは言語・民族という観点ではなく、地理的な境界としてのベルギーの文学という形で何人かのとりわけ著名な作家・作品を見ておきましょう。
びあトモスタッフにはオランダ語が読めるものがいないので、オランダ語で書かれた作品の情報が手薄です。どなたか加筆してくる方求む
ヘンドリック・コンシアンス『ヴラーンデレンの獅子』(1838)
ヴァロワ朝フランスとフランドル都市同盟の戦争中、14世紀初頭に起きた金拍車の戦いを舞台とした歴史小説で、ベルギー独立直後に書かれた最初の民族文学といえます。今日では歴史的事実の誤認があるという指摘もありますが、かつては「民衆に読むことを教えた人」とまで言われたコンシアンスの代表作であり、金拍車の戦いに勝った7月11日は今でもベルギー・オランダ語圏の祝日となっているほどで、正にヴラーンデレン人の民族文学の代表作でもあります。
コンシアンスはフランス人を父に、ヴラーンデレン人を母に持ち、彼自身はオランダ語で作品を書いた作家でした。
ベルギー象徴主義文学
1880年頃からベルギー文学は大きな転換期を迎え、フランス文学からの自立性を模索するようになります。これを大国フランスの下位カテゴリーではなく、ペルギー本来の文学のあり方を取り戻すという意味でベルギー・ルネッサンスといいます。
その目的で援用されたのがフランス語でヴラーンデレンの物語を書くという方法論でした。
当初は題材としてヴラーンデレンを取り上げただけという感もありましたが、自然主義の反動として発生した象徴主義において、ラテン(=フランス)に対抗するゲルマン(=ヴラーンデレン)的要素としての北方神話が採用されることで、このヴラーンデレン性がただの風物に留まる段階から芸術へと昇華されていきます。
このベルギー象徴派を代表するのが『死都ブリュージュ』で死の陰に色濃く縁取られた黄昏の世界を描いたジョルジュ・ローデンバック、高村光太郎らの翻訳でも有名な詩人エミール・ヴェルハーレン、そして、『ペレアスとメリザンド』や『青い鳥』のモーリス・メーテルリンクです。
彼らはその明らかにフランス語風の名とフランス語らしからぬ響きの姓から分かるように、フランス語話者に転向したヴラーンデレン人でした。
ベルギー象徴主義は北方性というその独自性故に、フランスをはじめとして国際的にも高い評価を受け、それはやがてメーテルリンクのノーベル文学賞へとつながります。
同時期にヴェルハーレンも三度に渡ってノーベル賞候補になっていたことからも、ベルギー国内のみならず国際的に彼らの評価がいかに高かったかということが分かるでしょう。
邦訳としては絶版になっているものもありますが、メーテルリンクの作品を中心に、ローデンバックの『死都ブリュージュ』などがあります。
ヴェルハーレンは象徴主義時代の作品こそ邦訳がありませんが、晩年の詩作のいくつかは日本語で読むことができます。
ジョルジュ・シムノン
いわゆるアカデミックな文学とは異なりますが、メグレ警視シリーズで有名なミステリー作家ジョルジュ・シムノンもベルギーを代表する作家です。
「尽きることのない」と評されたシムノンは実に多作の作家で、UNESCOの統計によるとその売れた部数は世界18位、フランス語作家では4位、そして、ベルギー人としては最も多く翻訳された作家ということです。
あまりもの多作故にか「文体なき文体(style sans style) 」と揶揄されることもあったシムノンですが、ミステリーではない作品もあり、ジッドなどからは偉大な作家であると評価されていました。
また、2003年には2巻のプレイヤード版も刊行され、メグレ警視の作品も何編か収録されています。邦訳もメグレものを中心に多くの作品が出版されています。
アメリー・ノートン
最後に現代ベルギー人作家の代表としてアメリー・ノートン(Amélie Nothomb)を紹介しておきます。
駐日ベルギー領事の娘として神戸(正確には西宮)で幼少期を過ごしたノートンは、1992年に『殺人者の健康法』でセンセーショナルなデビューを果たし、それ以降、一年に一作コンスタントに作品を発表し続けています。その奇抜ともいえる独創性と哲学的な文体で、今では新刊の発売時にはパリの至る所でノートンのポスターが見られるなど、ベルギー本国だけではなくフランス語圏の流行作家となっています。
1999年発表の『畏れ慄いて』はノートンが日本で働いた経験を基にした小説で、日本語にも翻訳され、日本の会社社会の不条理さを描いたものとして話題になりました。日本のとある大手企業の社長がこの作品に書いてあるのはでたらめだらけだと憤慨したという逸話もありますが、わざわざ小説の中身に目くじらを立てるとは、やはり心当たりがあったということなのでしょうか。
『チューブな形而上学』(2000)
前作『畏れ慄いて』の成功を受けて翌年発表されたノートン9作目の小説。やはり日本を舞台としていますが、本作は西宮の夙川で過ごした赤ちゃん時代の自伝的作品という奇想天外ぶり。
タイトルもこれまた風変わりですが、ここで言う「チューブ」とは、食物を摂取し排泄するだけの赤ん坊としての主人公、自分の外部を必要としないという意味でそれは自己完結した完璧な存在、つまりは神、そして鯉(!!)のトポロジカルな比喩なのです。「形而上学」はそのままの意味、感覚や表層の世界を超えたイデア・普遍的真理に思惟によってたどり着こうとする営み。
つまり、原タイトルの « Métaphysique des tubes » とは「チューブ」たちの哲学的思索といったところでしょうか。ここでは「チューブ」は思索の対象というよりは主体なのです。その意味で邦題は少しやりすぎと言いますか、本作の意図を伝え切れていません。
乳幼児の見ようによっては純粋な行動とその頭の中で繰り広げられる哲学的基礎付けという、奇妙な対比の繰り返しで進められるこの小説のおもしろさは実際に読んでいただくしかないとして、一点だけ、さすがはベルギーと思わせるエピソードをあげておきます。
一日中泣き叫んでは野獣のように手のつけられなかった「私」を大人しくさせたのが、ベルギーからやってきた祖母のくれたベルギーチョコレートだったのです。この魔法の食べ物は「私」に世界を開示し、落ち着きを与えるきっかけとなりました。もしかすると、ベルギー人にとってチョコレートはソウルフードなのかもしれません。