千野栄一『ビールと古本のプラハ』(1997)

千野先生の思い出

最初にごく個人的な思い出話から本稿を始めたいと思います。

『ビールと古本のプラハ』の著者である千野栄一先生は、筆者の大学院時代の恩師の1人でした。直接の指導を仰いだことはなく、こんなところで先生の話を書くなど実はおこがましい限りなのですが、筆者を言語学の道に誘ってくれたのは先生の著書の数々であり、チェコ語を学習したのも先生の書かれた入門書でした。
『エクスプレス チェコ語』の旧版は教科書としては実験的ともいえる構成ですが、今でも名著のひとつ、語学入門書の1つのメルクマールだと思っています。

また、何度かお話を直接伺わせていただいた機会には、チェコ語、カレル・チャペック、古代スラブ語の話題など、実に有益かつ楽しい時間を過ごした思い出があります。
したがって、本稿でも論文や書籍の著者名は敬称を略するという所定の形式に反して、敬愛をこめて千野先生と書くことにします。

千野先生の著作で広く知られているのは、やはり、岩波新書の『外国語上達法』でしょうか。これは歴代の岩波新書の中でもかなり上位のベストセラーであり、いまだに売れ続けているのではないでしょうか。

この本の内容をしっかりと理解すれば、先生の意図されたことではないにしても、今日世間で広まっている外国語(=英語)教育がいかに軽薄かつ無益なものなのかが分かると思います。
ただ聞いているだけで外国語をしゃべれるようになる道理などなく、3歳の子どもに週1回か2回だけ英語のおままごとをさせることに意味などなく、「逆上がり」を英語で何というかなど普通の日本人は知っている必要もなく、旅先のレストランで自分の注文もできないのに、俗語表現を覚えようなど正に噴飯物でしかないのです。

プラハと古本と

それはさておき、千野先生の著作には専門の言語学に関するものの他に、プラハの古本屋をめぐる珠玉のエッセーがあります。プラハものとでも称しましょうか。
そして、プラハといえばビール。したがって、これはビール飲みにもぜひ読んで欲しい1冊なのです。筆者も折に触れ読み返し、もう何度読んだのかも覚えていません。

色々な雑誌や論集などにバラバラに発表されたプラハものをまとめたものとしては、まず何よりも『プラハの古本屋』が挙げられますが、絶版となって久しく、古書市場でもそこそこの値がついています。
ビール飲みにお勧めなのは、その続篇と言えなくもない『ビールと古本のプラハ』です。

プラハのビアホール「黄金の虎」、チェコから日本にビール持参で(!)やってきた視察団、階段の七段目の話(ちなみに、これもビールの話です)、チャペックゆかりの地を巡礼しながら杯を重ねるツアーといったビールの話題から、やがて、千野先生が愛してやまなかった古き良きプラハの古本屋とその一種独特なシステム、そして、ビロード革命以降にそれが大きく変容していく様子など、タイトルの通りにビールと古本をめぐってプラハの話が繰り広げられてゆきます。

一つ一つは短いエッセーからなる1冊なので、実際に手にして読まれることをお勧めします。ここではこれ以上深く内容に触れて、初めて読むときの興をそぐような愚は犯さないこととしましょう。

>『ビールと古本のプラハ』その1 >『ビールと古本のプラハ』その2
kiyora

author : kiyora
my favorite beer : Dead Pony Pale Ale