ビールの歴史 1. 古代オリエント : ビールが先か?歴史が先か?

ビール発祥の地

ビールは文明発祥の地でもある古代メソポタミアで、B.C.10000年よりは後、B.C.3000年よりは以前に生まれたものと考えられています。
ビールの歴史は当然のことながら、その原料である麦と分かちがたく結びついており、人間が初めて狩猟採集生活から農耕社会へと移行して麦が栽培された地でビールが誕生したというのも至極当然のことと言えます。

そして、メソポタミアの地からもう一つの古代文明エジプトに伝わっていったものと考えられます。
ビールに関するもっとも古い遺跡・遺物に関しては、メソポタミアもエジプトも同じぐらい古いものが見つかっていますが、麦の栽培はメソポタミアで独自に始まったものがエジプトに伝わっていったもので、そこには2500年ほどの隔たりがあるので(ダイアモンド 2000)、恐らく、ビール伝播の順番としてもメソポタミアからエジプトであって、エジプトからメソポタミアへ伝わったというわけではないでしょう。

ビールを飲む様子が刻まれた古代メソポタミアの円筒印章。古代エジプトのビールを造る人たち

左の画像はビールを飲む様子が刻まれた古代メソポタミアの円筒印章。右側は古代エジプトのビールを造る人たち。©Trustees of the British Museum

歴史とはなにか

古代オリエントのビールに関する遺物は、意外かもしれませんが数多くあります。しかし、それらの史料を駆使してもっと具体的にビールの歴史について考え、おおよその年代特定など、ビールの起源に迫らんとするとき、私たちはそもそも「歴史」とはなにかという根源的な問題に突き当たります。
歴史とはかつて起きたありのままの事実のことである、そのような素朴な歴史観はしかしながら幻想でしかなく、今私たちが生きているこの瞬間にも記録されることなく過ぎ去ってゆく多くの出来事があるように、過去においても記録されることなく忘れ去られてしまったことの方が多いのです。
であるならば、歴史というのは記録された出来事の総体ということになるのでしょうか。確かに歴史学では、遺物資料(当時のモノや図像など)を補助的に使うことがあるにせよ、基本的には文献資料、それも同時代に書かれた一次資料にできる限り基づくべきであると考えられています。

ここに至って、私たちはビールの歴史をその根源まで遡るのが不可能であることに気づかされるのです。なぜなら、ビールの起源は記録には残っていない、というよりは、ビールは文字よりも古いからなのです。
それどころか、ビールをはじめとした食料などを記録しておく必要から文字が作り出された、ということはつまり、ビールが「歴史」を生み出したのだと言われることもあります。これは余りにも大胆で酒飲みにありがちなロマンチストの夢想に過ぎませんが、文字による記録を必要とした人類最初の複雑な社会にはすでにビールが存在しており、文字の歴史のごく初期からビールのことが記録されていることは間違いありません。

この章ではメソポタミアとエジプト、この二つの古代文明においてビールがどのような存在であったのか、まずは考古学的な知見に基づいて、次いで、記録に残されている古代のビールについて見てゆくことにしましょう。

For further reading

メソポタミア文明入門 (岩波ジュニア新書), 中田一郎, 2007, 岩波書店

古代メソポタミア文明の概観を得るのに最適な1冊。
ジュニア向けの新書ですが、全体の通史、最古のシュメール都市文明、楔形文字や国際語アッカド語、ハンムラビ法典を筆頭に社会経済、神話・文学など、一通り主要なトピックに触れており、メソポタミア文明の全体像を把握することができます。
同じ古代オリエントの地に花開いた文明であるエジプトと比べて、圧倒的に情報量の少ないメソポタミア文明ですが、まずはこの本で全体的なイメージをつかんでおいてから各論に進むといいかもしれません。

古代エジプト入門 (岩波ジュニア新書), 内田杉彦, 2007, 岩波書店

古代エジプトについて書かれた書籍は数え切れないほどありますが、やはり、簡潔にして読みやすく、しかし、さらなる探求につながる内容というと、岩波ジュニア新書のこの1冊でしょうか。
農耕と牧畜の開始からプトレマイオス朝まで、つまり、文明の始まりから古代エジプトの終焉までの数千年間が、ただの出来事の羅列に留まることなく描かれていきます。

References

—— ジャレド・ダイアモンド, 2000, 『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎 』, 草思社

| 目次 |