ビールの歴史 appendix : 幻の石板モニュマン・ブルー (1)

最古の醸造の記録?

ビールの本やネットなどを見ていると、人類がビールを造っていた最も古い記録として、五千年から六千年も前の「モニュマン・ブルー」というものに言及されていることがあります。これはフランス語でMonument bleuと書き、英語でいえばブルー・モニュメントといったところでしょうか。
ところが、この石碑といいますか石板といいますか、この発掘物はその詳細が明らかではありません。

1935年、アメリカのペンシルバニア大学の考古学調査隊が今のイラクにあるシャルモ遺跡で発見した青みを帯びた小さな石板で、そこに刻まれている楔形文字を解読したところ、ビールを造っている様子を記録したものであることが判明、描かれているのはビールを醸造している人物である。青みがかったその色に因んでモニュマン・ブルーと呼ばれ、以来、ビール醸造の最古の記録とされ、大英博物館かルーブル美術館のどちらかに所蔵されている。

Blau Monument

© Trustees of the British Museum

この辺りが、モニュマン・ブルーについて語られていることの共通項で、さらに半円の薄い石板に2人の人物が向かい合っている様子が彫られている、小さな画像が添えられていることもあります。
しかし、最古のビール醸造の記録だというにも拘わらず、その石碑の内容についてそれ以上詳しい説明はどこにも見当たらず、それどころか、収蔵先さえ分からないという始末です。

大英博物館もルーブル美術館もオンラインで所蔵品を検索することが可能です。もちろん、膨大な全所蔵品というわけにはいきませんが、便利な世の中です。ところが、そのどちらでもmonument bleu、あるいは英語形のblue monumentという所蔵品はありませんでした。
そもそも、20世紀頭のペンシルバニア大学といえばアメリカにおけるオリエント研究の一大中心地であり、その調査隊が発掘した多くの遺物は、今でも大学付属の考古学・人類学博物館に収蔵されています。それなのに、なにゆえに大英博物館?
さらには「今はルーブルにある」とする記述もありますが、イギリスとフランスは19世紀から20世紀前半にかけて、オリエントの地を舞台に激しい発掘合戦を繰り広げ、その成果を競い合っていたのです。それなのに、なにゆえに大英博物館からルーブル美術館に移管?

それどころから、大本の1935年の発見に関わる情報源すら不明で、詳しく調べてゆくと、ビールの歴史について書かれた軽い読み物にはモニュマン・ブルーのことがよく書かれていますが、古代メソポタミアのビールについて研究した、ちゃんと出典などのある学術論文には出てこないのです。
こうなってくると、その存在自体が疑わしいほどの状況なのですが、その一方でモニュマン・ブルーのものとされる画像には不鮮明ながらも、向かって左下の方にビールを表すウルク古拙文字が刻まれているように見受けられますし、そもそも「モニュマン・ブルー」という名前自体がフランス語の発音のカタカナへの転写であり、これがルーブルにあるとすれば、色々と筋道の通った話のようにも思えます。

果たしてモニュマン・ブルーは実在するのか?あるとしたらどこに?そして、なにを記録したものなのか?

The Blau Monuments

結論から言いますと、最古の醸造の記録モニュマン・ブルーというのは、またしてもロマンチストなビール飲みが作り出した伝説で、ネット上などでこれがモニュマン・ブルーだとされている画像に該当する石板は確かに大英博物館にありますが、それは伝えられているような内容のものではありませんし、来歴もまるで異なったものでした。

問題の石板は大英博物館のCollection Onlineによると、所蔵品番号86260、所蔵品名はThe Blau Monuments、紀元前3300年から3000年頃のウルクの出土品。その解説やキュレーターのコメントなどをまとめると以下の通りです。

そこに描かれている内容は完全には解明されていないが、土地と様々な物品とを交換した取引の記録で、刻まれている人物はこの取引の当事者だと思われる。
1899年に大英博物館が購入、来歴は不明で、それまでは他に似たようなものが知られておらず、一時は偽造品ではないかとも考えられていたが、その後、同じようなものが発掘され、本物の初期シュメルの石板であると証明された。
所蔵品番号86261とペアをなしており、The Blau Monuments(ペアなので複数形)という名前はオーストリア人で、以前の所有者であるDr A Blau(ブラウ)に因む。

Blau Monument
Blau Monument

2枚とも © Trustees of the British Museum

というわけで、1935年にペンシルバニア大学の調査隊が発掘したのでもなく、名前もMonument bleuでもBlue monumentでもなく、その色に因んだ名前でもなく、そもそもがビール造りの記録でさえなかったのです。もちろん、ルーブル美術館に譲渡されたことなどもありません。

2枚目の画像は1枚目とは反対側の図像を見ることができます。3枚目の画像は所蔵品番号86261のペアとなるオブジェです。
1枚目の画像左下にある三角から梯子様のものが出ている文字は、かなり歪んではいますがビールを表す古拙文字のようですが、何カ所かに刻まれている少し目立つ丸●は数字を表しているので、ビールも恐らく土地と交換された物品の一つなのでしょう。
あるいは、同じような取引の立会人への謝礼を記録した粘土板なども残されているので、ブラウ・モニュメントのビールの文字も同様の記録なのかもしれません。

キリンビール生産本部技術開発部(2004)も我々と同様に大英博物館のブラウ・モニュメントについて、巷間言われているような最古のビール醸造の記録ではなさそうであるという結論に達していますが、ブラウ・モニュメントにビールの古拙文字が刻まれていることには言及しておらず、また、この名前の由来についても誤った記述が見られます。

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