ビールの歴史 4.1. Humulus lupulus

近代ビールのメルクマール

ビールの主原料といえば「麦・水・ホップ」の3点セットと酵母ということになろうかと思いますが、ビールというものを何らかの形で麦を発酵させて醸造したアルコール飲料であると定義するなら、麦・水・酵母の3つがなければビールを作ることはできません。
その一方で、苦味や風味付けに使われているホップが欠かせない存在となったのは、長い長いビールの歴史の中で見れば、比較的最近の出来事であると言えます(といっても何百年も前の話ですが)。

フランス語ではビールのことをオランダ語由来の語でbièreと言います。恐らく、これは英語と同じ語源でしょう。しかし、bièreとは別にラテン語由来のcervoiseという語もあり、これには厳密な定義があるわけでもありませんし、それほど一般的に広く使われている語でもないのですが(クラフトビール普及のせいか、最近の方がかえって見かけるようになりました)、bièreとcervoiseの違いは後者が古いタイプのビールを指しているという点です。
そして、古いタイプのビールというのが具体的には何かということになると、やはり、ホップを使っているかどうかという辺りが基準となるようです。16巻組みの大きなフランス語辞典では、cervoiseを以下のように定義してあります。

Boisson alcoolisée obtenue par fermentation d'orge ou de blé, sans addition de houblon, (le Trésor de la Langue Française)

これは大麦か小麦を発酵させて造られるアルコール飲料で、ホップは加えないという意味です。ホップの使用によって、ビールは我々の知っている近代的な飲物へとさらに近づいてゆくことになります。

ホップという植物について

かつてのビールと今のビールとを隔てる分水嶺とも言えそうなホップは、北半球全体に自生するポピュラーな植物なのですが、実はその来歴も伝播もはっきりとしていません。今日ビール醸造に使われている種類のホップは、原産地が恐らく東ヨーロッパから西アジアにかけてのどこかであろうと考えられていますが、それがどのような経路で広まって、いつどのようにして栽培種ができたのか、多くのことが明かではありません。
カフカスが原産であるとするサイトが散見しますが、そこで書かれている文言がほぼ同じなので、恐らくは元となる1つのサイトのコピーに継ぐコピーでしかないようですし、また、カフカスが原産地であるとする積極的な根拠を見つけることはできませんでした。

ホップの属するHumulus属には、ホップであるH. lupulusの他に、H. japonicusとH. yunnanensisの合計3種があり、Humulus属全体の原産地は中国ではないかと考えられています。
H. lupulusの中で百万年ほど前にヨーロッパ種が枝分かれし、それに続いて北米種とアジア種が分岐しましたが、分子生物系統学的にはカフカスのホップはかなり早い段階でヨーロッパ種から枝分かれしたものだと考えられます(Murakami et al. 2006 a)。
そして、他の多くのヨーロッパの植物と同様に、ホップも最後の氷河期の後にヨーロッパ全体に、それも比較的短期間に広まったようです(Murakami et al. 2006 b)。

さて、植物としてのホップはアサ科のつる性多年草、葉は黒っぽいハート型で小さな毬花状の花をつけます。雌雄異株で、未受精の雌株の毬花には苦味のある樹脂と精油が含まれていて、これがビール醸造に用いられることになります(サンティッチ&ブライアント 2010)。

ホップの学名 Humulus lupulus ですが、属名であるHumulusはスラブ語でホップを表すchmeleか、ゲルマン語の「実のなるもの」を表すhumel(a)から来ていると考えられており、ラテン語のhumus(大地)からというのは民間語源のようです。
種小名lupulusはラテン語のlupus(オオカミ)の縮小形で、ホップのツルが他の植物を絞め殺してしまうと誤って考えられていたことによります。

なお、今日では実際のビール醸造に際して、写真のようなペレット状にしたホップを用いています。これは毬花のままだと保存性が悪く扱いにくいからだそうです。
また、その名もずばりHopsという、ホップについてだけ書かれたモノグラフィーがあり、Further readingにあげておきますので、ホップ愛好家(?)の方はぜひご一読を。

For further reading

Hops, R.A. Neve, 1991, Springer

ホップについてのみ書かれた300ページ近い大著。と言っても、遺伝子がどうこうという本ではないので、意外に読みやすいといいますか、ホップを栽培するに当たって役に立つ、実際的な知識の宝庫です。
支柱の建て方とか気をつけないといけない病害とか。ということは、つまり、まあ、ビール飲みが読んでも大して得るところはないかもしれませんが、筆者はその内、暇なときにでも読んでみたいなあと…。

References

—— A. Murakami, P. Darby, B. Javornik, M. S. S. Pais, E Seigner, A Lutz and P Svoboda, 2006(a), "Microsatellite DNA analysis of wild hops, Humulus lupulus L.", Genetic Resources and Crop Evolution 53, pp.1553-1562
—— A. Murakami, P. Darby, B. Javornik, M. S. S. Pais, E Seigner, A Lutz and P Svoboda, 2006(b), "Molecular phylogeny of wild Hops, Humulus lupulus L.", Heredity 97, pp66-74
—— バーバラ・サンテッチ(編), ジェフ・ブライアント(編), 2010, 『世界の食用植物文化図鑑―起源・歴史・分布・栽培・料理 』, 柊風舎

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