ビールの歴史 4.3. ティル・オイレンシュピーゲル

アインベッカー・ビール

アインベッカー・ビール

古くから名産品のビールでその名をはせたアインベックという町がドイツ北部ニーダーザクセン州にあります。ここで造られたビールは後のボック・ビールの元祖であるアインベッカー・ビールとして知られ、14世紀にはその黄金期を迎えて、数百もの醸造所を抱え各地に輸出されるほどでした。
1378年には少し北にあるツェレの町に2樽を売った記録が残されていますし、その150年後には宗教改革で有名なマルティン・ルターが「人類が知っている最高の飲物はアインベッカー・ビールだ」と褒め称えたとされています。この手の逸話のご多分にもれず、これもまた事の真偽は定かではありませんが。

ブレーメン、ハンブルク、ミュンヘンといったドイツの諸都市だけではなく、リガやアムステルダムにまで広く輸出されていたアインベッカー・ビール、世界各地のビールが日本国内にいながらにして飲める今日の我々には想像しがたいことですが、この各地に輸出されていたという事実は、冷蔵技術もなければ輸送手段も限られていた当時としては画期的なことで、その実現のためには高い品質と優れた保存性が必要でした。それを可能にした要因のひとつがホップの添加だったのです。
地産地消の走り、というよりは、その地で飲まれる分だけを造る、いや、極端に言えば自分の家で飲む分だけを造るという、家庭内醸造が通常であったビールですが、ホップに含まれる成分が菌の繁殖を抑えるという効用のおかげで、輸出可能な産業へと発達していったのです。

画像は今日でもアインベックでビールを造っているEinbecker Brauhausのラインナップのうちから、Ur-Bock Hellという昔ながらのレシピで造られたタイプのビールです。往時のアインベッカー・ビールに劣らず、6.5%という高めのアルコール度数もこのビールの特徴のひとつです。

オイレンシュピーゲル

さて、リヒャルト・シュトラウスによる交響詩でも有名なドイツの民衆本『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』は、16世紀初頭にヘルマン・ボーテ Hermann Bote によって書かれたと考えられていますが(阿部 1979, 1990)、その中の「第47話」にこのアインベックを舞台としたビールの話が出てきます。

ティル・オイレンシュピーゲル

農夫のスモモに糞をして台無しにしたティル・オイレンシュピーゲルは、そのいたずらが忘れられたころに再びアインベックの町に舞い戻り、今度はビール醸造職人として雇われました。
あるとき、親方から留守中にビールを醸造しておくように言われます。下女の手を借りて怠けず仕事をし、「ホップをうまく煮込んで」おくようにと。下女の指図で熱心に麦汁を煮込んでいたオイレンシュピーゲルでしたが、今度は下女からも「ホップを入れるのは」1人でやっておくようにと言われて、ここぞとばかりにいたずらを始めます。
なんと、親方の飼っていたホップという名前の犬を煮込んでしまったのです。下女が、そして、親方が帰ってきたときには、哀れホップはすっかり煮込まれた後でした。オイレンシュピーゲルは「人にいわれたとおりに」しただけなのに「誰からも感謝され」ないと暇乞いして去っていったということです。

現代のお上品な大衆には受け入れがたい部分も多々ありますが、この『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』に限らず、古くはボッカッチョの『デカメロン』から、フランスではラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』もまたしかり、中世の特に民衆的な物語というのはエロ・グロ・ナンセンス、さらにはスカトロの宝庫なのです。かの『ファウスト伝説』さえも民衆本では同様な傾向が見られます(木村 1987)。
また、今日の倫理観からすると眉を顰めたくなるような行為のオンパレードという、愚者が主人公となっている物語は、しかしながら、愚者が担っている役割こそ時とともに変化してゆくものの、中世から近世へと転換するこの時代には隆盛したジャンルであったのです(柏 1994)。

犬を煮込んでしまうというこの「第47話」など、まさに思わず顔をしかめたくなるようなグロテスクの筆頭ともいえるでしょう。
もちろん、これは語呂合わせによるものなのですが、現代ドイツ語だとホップはHopfen、そして、犬の名前はHopfとなっていて微妙に異なっています(現代語のタイトルにも、einen Hund, der Hopf hieß, anstelle von Hopfen sott [ホップの代わりにホップという名の犬を煮た]とあります)。
しかし、『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』が書かれた本来の低地ドイツ語では犬を表すrödeという語があり、他方、アインベックに近い都市ブラウンシュヴァイクの方言にはhopfenの同義語としてrödeという語があり、これらは名詞の性こそ違うものの同じrödeであり、そこからくる語呂合わせであるということです(阿部 1990)。いずれにせよ、語呂合わせで煮られる犬にしてみれば、たまったものではありませんが。

民衆本から読み解く当時のビール醸造

しかし、現代人の視線でオイレンシュピーゲルの物語の倫理的妥当性を評価するのではなく、史料としてこの物語を読んでみると、当時のビール醸造についていくつかのことが読み取れます。

ティル・オイレンシュピーゲル

1) まず、職人のオイレンシュピーゲルが残って仕事を続ける一方で親方は私用で留守にするところから、すでに身分格差のある産業であったこと
2) しかし、親方が出かけると後に残るのは女中とオイレンシュピーゲルの2人だけで、なおかつ、女中から指示が出ていることから分かるように、ビール醸造が家庭内手工業であったこと
3) 次に、女中が最後の仕上げだけを見届けずに出かけてゆくという順序から、ビールの製造過程が今と同様に麦汁を煮立ててからホップを仕上げに添加するというものであったこと
4) そして、なによりもホップを入れるのが当時すでに当たり前になっていたという事実

もし、ホップの添加が極めて特殊なケースであったとしたら、ホップという名前の犬を鍋に入れてしまうという落ちのために植物のホップを入れるように親方が命じたという作為的な感じが生じてしまい、それでは滑稽譚として成立しません。例えば、親方が入れるように命じたのがホップではなくチェリーで、そこでチェリーという名前の犬を鍋に入れたという話だとしたら、なるほど、確かにチェリー・ビールというのは存在するけど無理矢理な落ちだなあと思われてしまうことでしょう。
このことは逆に言えば、ビールにホップを入れるという命令には、この物語が作られた当時、すでに不自然に感じられる部分がなかったということなのです。

このホップの代わりに犬を投じる話は、いくつかの言語学的証拠からまさにアインベックで成立した話であると考えられていますが(阿部 2008)、やがて民衆本を離れて口承で広まっていくにつれて、大きく異なるオチが足されてゆくことになります。
ダメにしてしまったビールをどうしてくれるんだと怒る親方に対して、ティルはが暑い日に空を飛んでみせると人々を広場に集めます。そして、暑い中を待たせている間に集まってきた人たちにビールを売りつけた挙げ句、売り切れたところで人間が空を飛ぶ話を信じるなど馬鹿だと愚弄するというものです。
このようにして、アインベックでなくとも通用する話へと変容していきましたが、その背景にはある程度の知識人が描いた民衆本と本当の大衆との相違があるのですが(ibid)、産業としてのビール醸造がドイツ全体に広まっていったという事情も関係していたものと考えられます。

「ビール休み」という風習

また、「第51話」には「青い月曜日」のことが書かれています。
青い月曜日とは簡単に言うと、親方と職人との身分格差がある程度固定されるようになると、職人たちは組合を作って親方に対抗しようとしますが、当時の職人は早朝から夜遅くまで働いており、また、安息日である日曜には集会を開いてはならないとされていたので、職人組合の会合を開くために勝ち取った月曜の休みのことです。労働運動とその成果の遙か昔の先例と評されることもあります。

その歴史的意義はともかく、ビールの歴史にとって関係してくるのは、この「青い月曜日」が「ビール休み(Bierschicht)」と呼ばれることもあったということです。休みの日に職人たちが大酒を食らって二日酔いで仕事するからとか(「青い」には「酔っている」という意味もある)、酔って乱闘騒ぎになって次の日に青あざだらけで仕事に出るから「青い月曜」と呼ばれたとか、などという話もありますが、これは完全な民衆語源でしょう。
実際ところ、「青い月曜」の名前の由来は不明なのですが、それが「ビール休み」とも言われたということは、職人にとって飲む酒といえば、先ずはビールが挙げられるという程度にまでは、ビールが普及していないとこの呼称はあり得ませんから、この時代の職人・大衆レベルへのビール普及の証左となります。

References

—— 阿部謹也, 1979, 「ティル・オイレンシュピ-ゲル--文献学から社会史へ」, 『思想』663号, pp.108-130
—— 阿部謹也, 1990, 『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら (岩波文庫) 』, 岩波書店
—— 阿部謹也, 2008, 「ティル・オイレンシュピーゲル」, 『中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描 (ちくま学芸文庫) 』, 筑摩書房, pp.248-313
—— 柏晶子, 1994, 「十六世紀における道化の精神:ブラントからオイレンシュピーゲルへ」, 『Stufe』14号, pp.1-12
—— 木村直司, 1987, 「ファウスト民衆本の基本的性格」, 『上智大学ドイツ文学論集』24号, pp.3-24

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