ビールの歴史 appendix : 「ビール」の語源(2)
cervoiseとbière
時代は飛んで15世紀頃のフランスに目を向けてみると、現代語でも使われているbièreという語と、ラテン語のcerevisia由来のcervoiseという語がどちらも使われていました。といっても、これらは同じアルコール飲料を指しているわけではなく、異なるものとみなされて多くの古文書に記録が残されています。
例えば、ルーアンではbièreが21スーなのに対してcervoiseは15スーと安めであったりとか、ある町の税金目録としてbièreとcervoiseが別個に挙げられているなど(Lardin 2008)、はっきりと異なる2種類の飲み物が共存していたことが分かります。
16世紀後半のディエップの様子 ディエップ城美術館
ケルトの時代から作られていたであろうcervoiseとは異なるものとして認識されている、新種の飲み物bièreはいったいどこからフランスにやって来たのかというと、ディエップという英仏海峡に面した小さな港町からフランスに輸入されたものだったのです。当時ディエップは北海貿易の一大拠点であり、つまり、bièreとはフランスに伝来する少し前にドイツでは一般的になっていたホップを用いた製法で作られた、言わば近代的な意味でのビールであり、それが船で運ばれてフランスにやってきたというわけです。
したがって、フランス語のbièreという語の語源はドイツ語、より直接的には隣のオランダ語であったということになります。それでは、オランダ語、ドイツ語のbierの語源は何でしょうか?
ここで再びラテン語が登場します。ビールの歴史などを紐解いていると、中世の修道院ではビールを作っていたという話を目にすることがあると思いますが、その修道院こそが正に中世以降もラテン語の伝統を受け継いでいる場所であり、さらにはブドウの採れない北ヨーロッパの修道院では、ワインではなくビールこそが基本的な飲み物であったのです。
古典ラテン語から俗ラテン語、ロマンス語へと通常のルートを経てではなく、ラテン語とはすでに断絶している中世末期に修道院からいきなりラテン語の語が導入された、したがって、動詞の不定法がそのまま名詞化されるという掟破りの語源というのが、おそらくはbibere語源説の拠って立つところであろうと思われます。
しかしながら、やはりこの説にも首をかしげざるを得ません。なぜなら、もし修道院の中でビールをbibere語源の語彙で呼んでいたとすれば、なにしろ修道院には古典ラテン語が生き残っていたわけですから、その厳格な文法に従っていたはずなので、上で様々な角度から検討したように古代においてと同じく、修道院でも動詞の不定法をものの名前に使っていたわけはありません。
また、修道院からビールが俗世間に伝わるときに、ものと一緒に語も持ち出されたが、語の方は間違って伝わってしまった、つまり、俗世間ではすでにラテン語は理解されなくなっていますので(いわゆるカロリング・ルネサンスで人為的に古典ラテン語を導入したため、書き言葉としてのラテン語と話し言葉との間に断絶とも言える乖離がすでに生じていました)、おかしな伝わり方をしたという可能性についても、これが色々見当した説の中ではもっともあり得そうな話なのですが、やはり、ゼロとまでは言い切れませんが極めて低いと考えるのが妥当でしょう。
言葉が通じない故に誤解に基づいてものの名前が伝わるというのは、未知の言語を話す文化・社会に接したときには起こりうることで、有名な逸話としてカンガルーの名前の由来があります。初めてカンガルーを見た西洋人が現地人に「あれは何?」と聞いたが、何を言われているのか理解できなかった現地人が「分からない」と答えたところ、現地語では「分からない」を「カンガルー」と発音するために、西洋人が誤解してその動物の名前をカンガルーだと思い込んだというものです。
実はこの有名な話、単なる俗説で真実ではないのですが、この話に典型的なように、言葉がまったく、あるいはほとんど通じないもの同士の間では起こりうる誤解ではあっても、修道院と俗世間とでは互いに言葉が通じるのですから(修道士はラテン語しか話せないわけではない)、やはり、これも違うと考えるのが普通でしょう。
ゲルマン祖語から印欧祖語へ
さて、ここまでは大陸側の話を見てきましたが、ここで古英語に目を向けてみましょう。古英語にはbeorというアルコール飲料を指す語があって、これがbeerの語源ではないかと言われることもあります。鹿deerのことを古英語ではdeorと言うので、同じ音韻変化体系に則っています。
ところが、この説には大きな反証があります。それはealuというビールを指す別の語の存在で、現代語のaleの語源にもなっています。なぜ同じものを指す語が二つもあるのか。そもそもbeorという語が指していた飲み物はビールではないという説もあります(Fell 1975)。
それでは現代英語のbeerはどこから来たかというと、やはり、ホップを使った近代的ビールとともに渡ってきたドイツ語かオランダ語からの借用語だということです。
というわけで、やはり「BEER/ビール」の語源を探るのに重要なのは、どこからドイツ語・オランダ語、さらに言えばその祖先である古代のゲルマン諸語に入ってきたのかということになります。古英語のbeorが恐らくはビール以外のものを指していることをもって、bibere語源説の根拠とすることもあるようですが、それは論理の飛躍でしかないので、大陸側での「BEER/ビール」という語の伝播を探らねばなりません。
そして、ここに至って「BEER/ビール」の語源探求の旅は打ち切りとなります。なぜなら、古代のゲルマン諸語は文字を持っておらず、それ以上の歴史を遡ることが出来なくなるからです。
びあトモスタッフには比較言語学に詳しいもの、特にゲルマニストがいないので、ここから先は恐らくそうではなかろうかという類推の話になりますが、ドイツ語のBierの直接の語源である古高地ドイツ語のbiorはゲルマン祖語の*beuząに遡ります。
ゲルマン祖語というのはドイツ語やオランダ語などのゲルマン諸語の共通の祖先と考えられている言語ですが、文字の記録としては残されていないので、理論的に再構築された言葉です。ゲルマン祖語はさらに、ラテン語やギリシア語、ペルシア語やサンスクリット語などと祖先を一にしており、それを印欧祖語(プロト=インド・ヨーロッパ語)と言います。
*beuząの最初についているアスタリスク*は実際には存在しない(記録としては残されていない)、理論上の語であることを示す記号です。
そして、この*beuząはゲルマン祖語で「大麦」を表す*baraz、ひいては印欧祖語の*bʰarsに由来する、もしくは印欧祖語で「澱」を意味する*bʰews-に由来すると考える方が、ラテン語のbibereから来たとするより、はるかに自然な推論であるように思われます。
あるいは、印欧祖語で「飲む」という意味の*pō(i)-に遡れるかもしれません。そうすると、「BEER/ビール」もラテン語のbibereも共通の語源からの派生ということになります。
結論としては、「BEER/ビール」の語源はあいかわらず不明のままですが、ラテン語のbibere起源という飲み物の中の飲み物、飲み物の王様ビール説は民間語源に過ぎないと思われ、おそらくは印欧祖語で「麦」か「澱」を表す語からゲルマン祖語を経て古代ゲルマン語に入ったのではないか、これが現時点で最も妥当な推論であろうと私たちは考えています。
For further reading
比較言語学入門 (岩波文庫), 高津春繁, 1992, 岩波書店
文庫で安価な印欧比較言語学の入門書です。比較言語学とは一語派内の諸語を比較することによる言語の歴史研究で、本論で触れた印欧祖語、ゲルマン祖語などの再構築も比較言語学の成果です。
本書の初版が出たのは50年以上まえのことですが、基本的な方法論が確立されている分野のため、そこに書かれている比較言語学の基本的な方法論と、厳密な手続きの説明は今日でも十分に通用するものです。
ゲルマン語入門, 清水誠, 2012, 三省堂
比較言語学の概要を学んだ後は、個別にゲルマン語派の入門書をどうぞ。
英語・ドイツ語・オランダ語など一連のゲルマン諸語と、その共通の祖先であるゲルマン祖語について概観を得ることができる、ゲルマン語の歴史にも現状にも目を配った貴重な1冊です。
References
—— Ch. Fell, 1975, « Old English Beor », Leeds Studies in English, n.s., 8, pp.76-95
—— W.P. Lehmann, 2005-2007, A Grammar of Proto-Germanic, Jonathan Slocum(ed.), the Linguistics Research Center, University of Texas at Austin
—— Ph. Lardin, 2008, « Production et consommation de la bière en Normandie orientale à la fin du Moyen Age »,
Annales de Normandie, 58e année n°3-4, pp.43-57