ビールの歴史 Preface : ビールについて考える

ビールは神様の愛の証

ベンジャミン・フランクリン

"Beer is proof that God loves us and wants us to be happy." - Benjamin Franklin

18世紀アメリカの政治家にして物理学者ベンジャミン・フランクリンは「ビールは神様が我々を愛したまい、我々が幸福になることを望みたもうた証拠だ」と言ったとされています。
日本では凧をあげて雷が電気であることを発見したことで有名なフランクリンですが、アメリカでは合衆国建国の父の1人として、今でも100ドル紙幣の肖像に使われているほど人気の高い人物です。画像はアメリカの古い郵便切手に使われているフランクリンの肖像画です。

そんなフランクリンがビールを高々と称揚したのですから、アメリカ人のビール好きはこの言葉が大好きです。この名句は至るとろこで引用され、胸にでかでかとプリントされたTシャツも売られているほどなのです。
もっとも、最近の研究によると、フランクリンがそのような発言をしたことがあるのは事実だが、実はそれはワインについてであったということです。ビールが神の愛の証というのはどうやらミス・クォートのようなのですが、いずれにせよ、人口に膾炙した名句であることは間違いありません(Isaacson 2004)。

Beer is proof that God loves us...

フランクリンが本当のところどう言ったのか、ことの真偽はともかくも、ビールほどのうまいものがこの世に存在するのですから、そして、それを楽しむことが我々には許されているのですから、これはもう神様に愛されているに違いないと思いたくなる気持ちは、いかにもアメリカ人らしいといえばアメリカ人らしい発想ですが、私たち日本人にも理解できなくはないところでしょう。

それでは、私たちはいったいどれぐらい古くから神様に愛されてきたのでしょうか。よくビールは最古のアルコール飲料であるというようなことが言われていますが、それはどれぐらい古いのか?人類が誕生したその瞬間からでしょうか。
残念ながら、創世記には「そして、神は八日目にビールを造られた」というような話はないようです。

ところが、人類の文明の黎明期にまで遡る最古の文学作品ともいわれる『ギルガメシュ叙事詩』では、すでにビールのことが語られています。
もちろん、それは物語のなかのこと、つまりは作り話に過ぎませんが、そこにビールが出てくるということは、即ち、その時代にはすでにビールが存在していたという証でもあるのです。

かつて、とある考古学シンポジウムが「人はビールのみにて生くるにありしか?」と題されて大まじめに開催されたことがあるぐらい(Katz et al. 1991)、ビールは太古から人の生活と関わってきたのです。

ビールの歴史について考えるということ

びあトモでは優に数千年にも及ぶビールの歴史を少しずつ探ってゆきたいと思います。

すでに「ビールの歴史」について書かれたウェブページは星の数ほどありますし、また、教科書的なビールの入門書にも簡単な「ビールの歴史」がたいていは書かれています。しかし、残念なことにその多くは主張の根拠や出典などが明らかにされておらず、しかも、似たような話が異口同音に繰り返されているばかりです。
さらには、正にフランクリンの言葉がミス・クォートされ続けてきたように、誤った内容の「ビールの歴史」が至るところで語られていたりもします。

このような事態の背景として、ひとつにはビールというものが余りにも日常生活に溶け込み、とりわけカジュアルで享楽的な場面と結びついた飲み物であるがために、ビールについて書くことが学術的な調査に値しない軽い読み物程度にしか見做されていない、さらには、ビールについての真剣な考察など下手すればビールの喜びを台無しにしてしまいかねないという考えが、その根底にあるのではとないでしょうか。
つまり、多くの人がビールの歴史について語るに際して、知り得た情報を批判的に検討したり、その原典に当たろうとはしなかった、言ってみれば酔った上でのビールのうんちく程度のものとして語られてきたからだと思われます。

しかし、過去のビールについての記録が残されている以上は、どれほど日常的で逸楽と結びついていたとしても、それは真剣な歴史的考察の対象であり、屋上屋を架す愚を犯さないためにも、びあトモでは能う限り史料に基づいて議論することを基本方針とします。
この方針は言わば「しらふで」ビールの歴史を研究するということですが、しかしながら、一杯ひっかけて陽気に語らう楽しみをいささかも減ずるものではありません。それはそれで至福のひとときではありますが、醒めた頭でビールについて語る酔狂な人間も世に少しぐらいはいてもいいのではないでしょうか。

余興にベンジャミン・フランクリンのビールについての発言をもう一つ引用しておきましょう。
"In wine there is wisdom, in beer there is Freedom, in water there is bacteria."
果たして、これがフランクリンの真正な発言なのか、はたまた、これも誤った伝承なのか、その検証はまたの機会に譲るとしましょう。

以上のような方針のため、全篇を1度に完成させることは難しく、少しずつ出来るところから書き足してゆく予定です。最初のうちは読めないページの方が多いですし、不定期に新しいページの追加がおこなわれたり、すでにあるページにも追記や修正を加えることがあるかもしれません。
目次のページに更新情報も合わせてあげておきますので、今ある記事を全て読み終えてからも、時折、更新がないか見に来ていただけると幸いです

For further reading

歴史学入門 (岩波テキストブックスα), 福井憲彦, 2006, 岩波書店

中学や高校で習う「世界史」や「日本史」と歴史学はどう違うのか。歴史学というものの方法論を比較的簡単にまとめてある1冊です。
役所や裁判所に残された様々な公の記録から、過去の民衆の歴史を再構築するアナール学派の説明なども詳しく、この辺りは基本的に大衆の飲物であり続けたビールの歴史について研究する際には大いに参考になります。

References

—— W. Isaacson, 2004, Benjamin Franklin: An American Life , Simon & Schuster
—— S. H. Katz and F. Maytag, 1991, "Brewing an Ancient Beer" in Archaeology, 44, 4, pp.24-33